寄り道しるべ

人生、寄り道したっていいじゃないか!むしろ寄り道大歓迎!という思想のもと、寄り道アドバイザーを名乗っております。日々を少し良くするエッセンスを発信していきます。好きな言葉は急がば回れ。

「学生は勉強しろ」「学生は勉強するのが仕事」ってのは間違っていると思う話。

毎日お疲れ様です

 

ふと、学生時代によく言われていた「勉強しろ」について考えることがあったので

私の考えを経験を踏まえながら話したいと思います

 

※勉強するのが好きな方はご覧にならない方がいいと思います。

 

 

 

さて、私は勉強が嫌いでした。

小さいころから勉強、勉強と言われ、嫌々やっていました。

 

宿題以外にどれだけやったかだけが大切だ、とか

遊んでいる暇があったら勉強しろ、とか

前回のテストよりも点数が低いのはどういうことだ、とか

いろいろと言われておりました。

 

その結果、学校のテストの点を取るための方法ばかり身についたように思います。

 

すなわち、ほとんどが付け焼刃の暗記。

 

テストが終わる = 解放されて遊べる

であったため、当然定着することはなく

 

同じような問題を再度解けば、当たり前のように正解できないのです。

 

このような状態は完全に大人の自己満足にしかなっていないと思いませんか。

 

当時は近くに住んでいた同級生が中学受験をする子ばかりだったので

親同士の競争みたいなものがあったのかもしれません。

 

関わる友達を選べ、なんて言われたこともありました。

 

そんな中、私は息苦しさから「絶対に中学受験したくない」と言っており、

親と対立してました(笑)

 

学年が上がるにつれて家に帰りたくなくなり、帰り道遠回りしたり、寄り道したり

どうにかして帰らないようにしていた記憶があります。

 

どうにか受験をせずに中学に進みましたが、「勉強しろ」は変わらず。

 

もう、反抗期なので地元のクラブ活動に無理やり参加。

アウトドア中心の活動で、泊りでキャンプしたり、イベントがあったりと、家から離れる大義名分を得たのでした。

 

しかしまぁ、「勉強しろ」は変わらなかったので息苦しさは変わらず。

 

大学までは出ろ、という命令だったので

高校は少なくとも遠くに行こうと、家から遠いところを受験しました。

 

無事に受かった高校は片道1時間半ほど。

 

無駄に早く学校に行き、できるだけ遅く帰るという生活を獲得しました。

 

私はこの高校生活で「勉強しろ」が間違っていると確信しました。

きっかけは2つ

 

1つは

当時の高校の担任の先生に言われた

「勉強は勝手にやれ」

でした。

 

何と無責任な、と思う方もいるでしょうが、これって実は深い意味があるのだと思っています。

 

2つ目は

英英辞典を使ってみなさい

です

 

何でこれが?となる方が多いかと思いますので、もう少し詳しく話しますね

 

 

英英辞典で当時私が初めに調べたのは

studyとlearnでした

 

英和辞典だと

study → 勉強

learn → 学習

 

となっていました。

国語辞典だとこれらは同じ意味。

 

英英辞典では

study → a piece of work that is done to find out more about a particular subject or problem, and usually includes a written report

 

learn → to gain knowledge of a subject or skill, by experience, by studying it, or by being taught

 

と書いてありました。

 

一言でまとめれば

 

studyはlearnのための手段。 「勉強」は「学習」のための手段。

 

身に着けてはじめてlearnとなると読めるわけです。

この違いを見つけた時にわたしはハッとしました。

 

今までやってきたことは本当にstudyだったんだと。

 

「学生は勉強しろ」「勉強するのが仕事」というのは

身につくかどうかは置いといて、努力してる姿を見せろ

という意味と解釈できる。

 

これって誰のための発言になるのでしょうか。

少なくとも、勉強する側のための言葉には思えません。

 

それ以来、私は「学習」を意識するようになりました。

つまり、身につくことを第一に考えたため、分からないことがあれば立ち止まって分かるまでじっくり課題に付き合うことにしました。

 

一時的に、かつ急激にテストの点数が落ちましたが、それまでの内容が身についていなかったと思い、受け入れました。

 

テストの点数至上主義の親からはいろいろと言われましたが、そのころにはもうこちらは知らん顔でした

 

「勉強は勝手にやれ」という担任の先生の言葉はきっと

「身に着けるための方法を教えるから、努力するのは自分自身」

という意味なんだと思います

 

そう信じて努力した結果、しっかりと身についたのです。とてもうれしかった。

はじめて自身を持ってできることを経験したのです。

 

 

大学に入って、「勉強」を大切にしている人が多いことに驚きました。

テスト前になったら勉強して、点数を取りに行く。大学だと過去問、過去レポなんかも流通していてそれに群がっている(笑)

 

何しに来たんだろうな、と思って見ていたことは秘密です。

 

高校まで苦手だった数学も、大学に入ってようやく身に付き面白くなりました(理系に進学しましたが、他の科目でごまかしました・・。)

 

こんな経験があったので、在学中は塾講師のバイトをして生徒にこのことを伝えていました。ただ、親御さんの考え方はやはり「勉強」が大切なようで、残念に思ったことも多かったです。

 

今回

わたしがお伝えしたかったのは

「何かを身につけることが大切」ということです。

「勉強」はその手段であり、それ自体を目的にしてはならないと考えています。

 

よく聞く

”英語を勉強しても話せるようにならない”

というのは、話すというスキルを身につけようとして

書いたり読んだりする努力をしているからではないでしょうか。

話すを「学習」したいなら話す「勉強」なり練習をしなければなりません。

 

 

社会で「勉強」ができるというのは

言われたことをやっているように見せることができる、になるのかな。

 

しかし、活躍できる人はきっと何か「学習」している人だと思います。

 

「勉強」と「学習」の違いって意識してみないと気づくことが難しいんだと思います。

混同している人が多いと私は感じています。

 

混同している人に限って

「無駄な努力」って言葉をよく使っているのは私の周りだけなのかな

 

それはともかく、スキルを身につけたいなら、「学習」ですよ